皆さん、こんにちは。ひとっさんです。
2026年8月9日、日曜日。
私は、6度目となる町石道を歩いてきました。
九度山駅に朝7時8分に到着し、そこから歩いて慈尊院へ向かいました。7時38分、慈尊院と丹生官省符神社でお参りを済ませ、いつものように町石道を歩き始めます。
今回、6度目の町石道を歩き終えて、あらためて感じたことがあります。
それは、町石道は、ただ高野山を目指して歩く道ではないということです。
22キロという長い道のりを歩きながら、自分と向き合う。
疲れ、休み、景色に心を奪われ、人と出会い、そして少しずつ余計なものを手放していく。
大門に到着する頃には、歩き始めたときに頭の中を占めていた悩みや煩悩が、不思議なほど小さくなっています。
6回歩いた今だからこそ、少しずつわかってきた町石道の魅力。
今回は、そんな6度目の町石道について書いてみたいと思います。
経験がくれた心のゆとり。町石道は、急がないことから始まる

今回の町石道で、一番意識していたことがあります。
それは、とにかく急がないことです。
特に、夏の町石道では暑さとの戦いがあります。
前回、7月19日に5度目の町石道を歩いたとき、水分補給の大切さをあらためて痛感しました。その経験を生かし、今回は事前の準備をしっかりと行いました。
1リットルのお茶を凍らせたペットボトルを2本。
さらに500ミリリットルのお茶も1本。
食料は、ソイジョイ、カカオチョコレート、こんにゃくゼリー、カツサンド、おいなりさん。
22キロを歩くためには、気合いや根性だけでは足りません。
水分や食料を準備し、自分の体力を考えながら歩くことが大切です。
6回目ともなると、1回目や2回目とは大きく違います。
何よりも、心にゆとりがあるのです。

初めて町石道を歩いたときは、「本当に最後まで歩けるのだろうか」と不安でした。
どれくらい登るのか。
どこで疲れるのか。
あとどれくらい残っているのか。
わからないことばかりでした。
しかし、5回歩いた経験がある。
「あそこを過ぎれば少し楽になる」
「ここは急がない方がいい」
「矢立まで体力を残しておけば大丈夫」
そんな経験が、自分の中に少しずつ積み重なっています。
そして今回、私の中で一つ確信したことがあります。
町石道を楽しむためには、六本杉まで急がないこと。
これが、とても大切です。
以前は、「二つ鳥居まで頑張ろう」と考えていました。
しかし、6度目を歩いて感じたのは、その前の六本杉までが一つの大きなポイントだということです。
慈尊院から歩き始めると、少しずつ山道へと入っていきます。
172町石あたりまで来ると、竹の景色が広がります。
この景色を見ると、私はいつも、
「さあ、ここから本格的に町石道が始まる」
という気持ちになります。
歩き始めて間もない頃は、まだ日常の延長にいるような感覚があります。
しかし、竹の道が現れ、少しずつ山の中へ入っていくと、気持ちも高野山へ向かう旅へと切り替わっていきます。

展望台を過ぎ、159町石付近の森の中を歩いていると、木漏れ日が差し込んできます。
朝8時半頃の景色なのですが、不思議なことに、どこか夕方のようにも感じます。
木々の影に包まれた道。
そこに差し込む柔らかな光。
何度歩いても、
「町石道って不思議な道だな」
と思わされます。
そして、9時過ぎ頃に接待場へ到着します。
ここまで来ると、ゆっくり歩いていても少し疲れを感じます。
登り始めたばかりで、まだ体も完全に慣れていません。
坂道が続き、
「少し休みたいな」
と思う頃に、接待場が現れます。
私はいつも、ここで少し休憩します。
お茶を飲み、呼吸を整えます。
そして、いつも思うのです。
昔の人も、きっと同じように疲れたのではないだろうか、と。
この町石道を歩いた人たちが、
「そろそろ少し休みたい」
と思う場所。
そこに接待場がある。
何百年も前の人たちも、この場所で旅人を迎え、
「ここまでお疲れさまでした」
と接待していたのかもしれません。
750年、800年前の人たちと、今を生きる私たち。
時代は違っても、坂道を登れば疲れる。
少し休みたくなる。
人をもてなしたいと思う。
そう考えると、昔の人たちが急に遠い存在ではなくなります。

接待場を過ぎると、六本杉まで登りが続きます。
場所によっては坂もあり、足元が歩きにくいところもあります。
今回、私はこのあたりから理趣経を読誦しながら歩きました。
町石道は、弘法大師空海、お大師様が、お母様に会うため高野山と慈尊院を行き来した道だと伝えられています。
そんな道を歩かせていただくなら、お大師様に少しでも思いを届けたい。
そう思い、今回は理趣経を声に出しながら歩きました。
不思議なことに、経を読んでいると、厳しい坂道に意識が集中しすぎません。
時には息を切らしながらも、気がつけば六本杉の近くまで来ていました。
「あれ、もうここまで来たのか」
そんな感覚でした。
町石道を歩くことに、決まった正解はないと思います。
速く歩く人がいてもいい。
ゆっくり景色を楽しむ人がいてもいい。
静かに自分と向き合う人がいてもいい。
私が6回歩いて思うのは、自分のペースを守ることが一番大切だということです。
特に初めて歩く方は、六本杉まで急がないでください。
焦らない。
人と比べない。
自分の呼吸に合わせて歩く。
それだけで、その後の町石道が大きく変わると思います。

22キロの道のりで出会う景色、人、そして1200年の時間
六本杉を過ぎると、二つ鳥居へ向かいます。
ここからは、それまでの登りに比べると、比較的歩きやすい道が続きます。
今回、二つ鳥居でうれしい再会がありました。
前回、偶然お会いした町石道を研究されている地元の方と、今回もまたお会いすることができたのです。
偶然なのか。
それとも必然なのか。
「今日は四国が見えますよ」
そう教えていただき、遠くを眺めました。
私はこれまで何度もこの道を歩いていますが、知らないことがまだまだたくさんあります。
同じ道を歩いても、天気によって景色は変わります。
季節によって、空気も変わります。
出会う人も違います。
だから何度歩いても、新しい発見があります。

二つ鳥居を過ぎると、神田地蔵堂へと向かいます。
町石道の中でも、前方に大きな景色が広がる場所の一つです。
晴れた日にここへ来ると、思わず立ち止まりたくなります。
そして、ここまで来る頃には、もう完全に町石道の世界に入り込んでいます。
私が住んでいる街では、当日35度ほどありました。
しかし、町石道では、体感として5度ほど低く感じます。
もちろん夏ですから暑いのですが、木陰の中を歩いていると、都会の暑さとはまったく違います。
風が吹く。
鳥の声が聞こえる。
木々の間から光が差し込む。
ただそれだけのことが、とても心地よく感じられます。
100町石を過ぎ、笠木峠を越え、少しずつ矢立へ向かいます。

今回、矢立に到着したのは12時20分頃でした。
町石道は全部で180町。
矢立まで来ると、60町を残すだけです。
つまり、全体の3分の2を歩いたことになります。
私はいつも矢立で少し休憩します。
食事をし、水分を補給し、体を整えます。
そして、ここでも大切なのは、まだ急がないことです。
矢立から大門までは、以前はとても厳しい区間に感じていました。
1回目、2回目の頃は、矢立までにかなり体力を使ってしまっていたからです。
雨に打たれたこともありました。
コースをよく知らず、ペースもつかめませんでした。
そのため、矢立から大門までが、とても長く感じました。
しかし、経験を重ねることでわかってきました。
矢立から大門までを楽しく歩けるかどうかは、矢立までにどれだけ体力を残せているかで決まる。
矢立までに飛ばしすぎる。
無理をする。
必要以上に急ぐ。
すると、最後の2時間が苦しくなります。
反対に、慈尊院から矢立までを自分のペースで歩き、体力を残しておけば、矢立から大門は驚くほど歩きやすく感じます。

もちろん、最後には登りもあります。
大門が近づくにつれて、足も重くなります。
しかし、
「あと少しだ」
と思えるのです。
今回は、矢立から大門まで約2時間。
過去の経験を生かし、ほとんど無理をせず歩くことができました。
6度目にして、これまでで一番、計画的に歩けた町石道だったかもしれません。
町石道は、ただ22キロを歩く道ではありません。
1町石ごとに距離が縮まり、
1歩ごとに高野山へ近づいていく。
そして、その道を1200年前、お大師様も歩かれた。
鎌倉時代の人たちも歩いた。
何百年も前の人たちも、この道を通った。
その同じ道を、今の私が歩いている。
そう思うと、とても不思議な気持ちになります。
時間を超えて、同じ道でつながっている。
それが町石道の大きな魅力なのだと思います。

町石道を歩くと、新しい自分に出会える
時計を見ると、14時32分。町石道を歩き始めてから約7時間をかけて、ようやく大門に到着しました。
もちろん、疲れはあります。
22キロを歩いているのですから、疲れていないわけがありません。
しかし、今回はこれまでと少し違いました。
「もう動けない」
というような疲れではなく、
「今日も無事にここまで来ることができた」
という充実感の方が大きかったのです。
6回歩いた経験。
事前の準備。
水分補給。
そして、自分のペースを守ること。
その積み重ねが、今回の町石道を支えてくれたのだと思います。

大門に到着した後、私はいつものように根本大塔へ向かいました。
そして、大日如来様に、旅の安全を見守っていただいた感謝をお伝えします。
毎週のように手を合わせていますが、以前は大日如来様のお顔が少し厳しく見えたこともありました。
しかし最近は、不思議なことに、微笑んでくださっているように感じます。
もちろん、それは私の心の変化なのかもしれません。
その後、蛇腹道を通り、金剛峯寺へ。
そして、最後は一の橋から奥之院へ向かいます。
御廟橋を渡り、お大師様に手を合わせます。
「今日も無事に歩かせていただき、ありがとうございました」
その言葉を伝えるために、私は町石道を歩いているのかもしれません。
今回、奥之院に到着したのは15時40分頃でした。

この時間帯に訪れると、午前中とはまた違った光景があります。
多くの方が、お大師様の前で静かに手を合わせています。
それぞれの人生があり、それぞれの思いがあります。
その一人ひとりが、静かに手を合わせている。
その姿を見ているだけで、心が穏やかになります。
高野山について、私がいつも教えていただいている山根さんから、印象に残る言葉を聴きました。
「高野山は、蓮の花なんです」
蓮の花は、泥の中から茎を伸ばし、美しい花を咲かせます。
その考え方になぞらえると、慈尊院から大門までの町石道は、蓮の茎の部分。
そして、高野山が花の部分。

日々の生活では、私たちはいろいろな煩悩を抱えています。
仕事の悩み。
人間関係。
将来への不安。
過去への後悔。
人である以上、何も考えずに生きることはできません。
私自身も、町石道を歩き始めるときは、いろいろなことを考えています。
しかし、22キロを歩いているうちに、少しずつ変わっていきます。
山の中を一人で歩く。
自分と向き合う。
すれ違う人と挨拶を交わす。
木々を見る。
風を感じる。
そして、ただ一歩ずつ進む。
そうしているうちに、最初に頭の中を占めていたことが、少しずつ薄れていきます。
すべての悩みがなくなるわけではありません。
人生が急に変わるわけでもありません。
しかし、大門に着く頃には、
「まあ、なんとかなるか」
そんな気持ちになっている自分がいます。
それが私にとっての町石道です。
山根さんは以前から、
「町石道は、一度歩いたら、また何度も歩きたくなりますよ」
と話してくださいました。

最初は、
「そんなに何度も歩くものなのかな」
と思っていました。
しかし、今は6回目です。
そして、また歩きたいと思っています。
なぜなら、歩くたびに感じることが違うからです。
1回目は、ただ必死でした。
2回目は、少しコースがわかりました。
3回目、4回目、5回目と歩く中で、自分なりの歩き方ができてきました。
そして6回目。
過去5回の経験が、自分に大きな心のゆとりを与えてくれました。
これは、町石道だけの話ではないと思います。
人生でも同じです。
考えることも大切です。
準備することも大切です。
しかし、最後は実際にやってみる。
一歩を踏み出す。
実践する。
その経験が、自分の財産になります。
町石道も同じです。
「いつか歩いてみたい」
と思っているだけでは、その道は始まりません。

慈尊院に立ち、最初の一歩を踏み出す。
すると、180町石、179町石と進んでいきます。
疲れたら休む。
水を飲む。
また歩く。
その繰り返しです。
そして、気がつけば、大門に立っています。
私は6度目の町石道を歩き終え、あらためて思いました。
町石道は、歩く人の人生をすぐに変えてくれる魔法の道ではないかもしれません。
しかし、自分と向き合う時間を与えてくれる道です。
余計なものを少し手放す時間を与えてくれる道です。
そして、また明日から一歩を踏み出すための力をくれる道です。

1200年前、お大師様が歩かれた道。
何百年もの間、たくさんの人が歩いてきた道。
そして、今を生きる私たちも歩くことができる道。
もし、日々の生活に少し疲れている方がいれば。
何か新しいことを始めたいと思っている方がいれば。
自分自身とゆっくり向き合う時間が欲しい方がいれば。
ぜひ一度、町石道を歩いてみてください。
最初から22キロすべてを完璧に歩こうとしなくてもいいと思います。
急がなくてもいい。
人と比べなくてもいい。
自分のペースで、一歩ずつ進めばいい。
町石道には、速く歩くことよりも大切なものがあるように、私は感じています。

それは、一歩一歩、自分の足で進むこと。
6度目の町石道を終えた今、また新しい発見がありました。
そして、まだまだ知らないことがたくさんあります。
だからこそ、私はこれからも何度も町石道を歩きたいと思っています。
季節が変われば、景色も変わる。
天気が変われば、空気も変わる。
そして、自分自身も少しずつ変わっていく。
次に歩く町石道では、どんな景色に出会い、何を感じるのでしょうか。
それを楽しみにしながら、また次の一歩を踏み出したいと思います。
皆さんも、機会があればぜひ。
弘法大師空海、お大師様が歩かれた道を。
1200年の時間が流れる町石道を。
自分の足で、ゆっくり歩いてみてください。
きっと、歩き終えたとき。
歩き始める前とは、少し違う自分に出会えるはずです。
南無大師遍照金剛。


